2011/09/22

たゆたうというカフェ

カフェ「たゆたう」
レキオです。

カフェ巡りを趣味と実用で続けている。

そんな中で、自宅の近所に良いカフェがあればいいなと思っていた。そんな折、新しく手に入れたスマートフォンで検索していると、「たゆたう」という名前のカフェが眼に入った。

地図が示す場所は、自宅から歩いて5分ほど。こんなところに、カフェがあったっけと思う。写真など見ると、間違いなくあるようだ。

それで、本日、時間があったので、立ち寄ってみた。写真は、その外観である。一見、とても古い民家で、道路に面しているが、それと思ってよく見ないと、気付かない。

入ると、すぐに町屋風の石のかまちがあり、靴を脱ぐのかどうか迷った。すでに、表に並んでいた自転車で来た学生らしき客が3人、食事をしていたが、話に夢中である。 彼らを見ると、靴を履いているようであるが、どうもよくわからないので、靴を脱いで板の間に上がって、オーナーらしき若い女性に声を掛けると、靴を履いて入ってよいとのこと。

少し薄暗い空間を見渡し、二人掛けのソファに腰掛けて、チャイ(400円)を頼む。

それにしても、カフェをいくつか廻っていると、こんな町屋風のたたずまいが多い。古い民家を使用することは、家賃を考えると実用的だと言えそうだ。

でも、一方で思うことがある。このたゆたうもそうだが、薄暗い中に裸電球が輝く空間で、お香の香りを嗅ぎながら、エスニック風の音楽を聴いていると、自分が何か聖なる空間に籠もっているという感覚になる。とくに、私の場合、一人で入ることが多いのでそのように感じるのだが。

一方で、古い民家ということは、そこで連綿と人々の生活が続けられてきた空間だということだ。つまり、生活の場所であった。それが、無用のものは一切取り払われて、これも古い机とイス、そして、ささやかな置物だけの清楚な空間になると、突然、聖なる空間に変わっていく。

もちろん、真新しい空間であるスターバックスのような開かれたカフェも多い。しかし、私はどちらかといえば、このたゆたうのような空間を好む。オーナー自らが改装したという2階は、古いグッズが整然と並べられ、それに値段が付いていた。

読みかけの本をある程度読み進めてから、お金を払って出る際にオーナーに尋ねたところ、昨年の6月に開店したのだそうだ。他のお客にもそう聞かれることが多いと言っていた。誰も知らぬ間に、私の生活空間でもある古い町並みの一角に、小さな、聖なる空間が立ち上がっていたのだ。これは、現代的な風景と言うべきかも知れない。

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